埼玉県入間郡越生町の臨済宗建長寺派 岩渓山 長徳寺(正法寺の末寺)

末寺紹介/岩渓山 長徳寺、五大尊(つつじ祭り) - 正法寺【公式】

末寺紹介/五大尊(臨済宗 建長寺派 正法寺末寺)巌溪山 長徳寺


毎年5/3のつつじ祭りで有名な五大尊は、当山末寺、巌溪山 長徳寺の境内にありました。
※写真は黒岩区の集会所で、この手前に長徳寺の本堂があったとされます。


「新編武蔵風土記稿」の黒岩村長徳寺の項抜粋

文化・文政期(1804~1829)に編纂とされる「新編武蔵風土記稿」によれば


長徳寺
臨済宗、今市村正法寺末、岩渓山と号す、本尊正観音
此寺は五大尊の堂守なりしが、丈雪と云僧ここに住せし時より、一寺となりしとなり、

五大尊堂
五大尊、中央は坐像にて長五尺、左右の四体は立像にて長各二尺二寸、行基の作なりといふ、


とされ、元々、黒岩に五大尊堂があり、代々堂守(村人か?)によって管理されていましたが、当山正法寺の十四世 丈雪妙積和尚が長徳寺を開山し住職となったという事のようです。
丈雪妙積和尚が正法寺の和尚であったのは元和三年十一月八日から慶安四年三月十三日の頃ですから、この任期の頃に巌溪山 長徳寺を開山させ丈雪妙積和尚の弟子が長徳寺の住職となったと思われます。


五大尊と巌溪山 長徳寺の関係

五大尊堂北側にある「歴代祖師塔」の裏に正法寺三十世 宗純和尚による「五大尊縁起と祖師塔建立記」には「五大尊の縁起は古く慶長年間に逆のぼるが、この山があたかも不動明王が岩石の上に立ち村人の安泰を見守り悪魔を追い払う姿に似ていところから、時の正法寺十四世丈雪和尚が此処に五大尊を安置して寺格を備え臨済宗建長寺派岩渓山 長徳寺として、又正法寺末寺として開山」とあります。
つまり五大尊堂の成立は慶長年間頃で、長徳寺が開山する以前は五大尊堂は現在のような山の中腹ではない所にあり、巌溪山 長徳寺を開山するにあたり現在の位置へ五大尊堂を移築し納めたのかもしれません。

巌溪山 長徳寺は当山、正法寺に合寺となって以降、現存しておりません。
大正二年編纂の入間郡誌の黒岩の項には「長徳寺 正法寺末にして岩渓山と号す。今は廃寺となる。」とあり、大正二年にはすでに廃寺となっていたことが伺えます。

前出、正法寺三十世 宗純和尚による「五大尊縁起と祖師塔建立記」には「明治初年の廃仏毀釈のとき長徳寺は正法寺と合寺」とあり長徳寺は明治初年には廃寺になってしまったようです。

しかし「越生昔がたり(昭和43年、新井雄亮編)によれば明治四十年頃に現在の公会堂前にあった長徳寺が放火され火事になったことが記されています。
廃寺となった後も建物は遺されていて放火によって焼失。現在のような更地になってしまったのかも知れません。

現存する巌溪山 長徳寺の鐘

現存する巌溪山 長徳寺の鐘には、

惟時寛政弐龍舎庚戌
首夏佛誕日見正法
雄寛衝誌
武刕入間郡越生郷黒岩村
岩渓山長徳禪寺住物

と彫られ、寛政二年春に鋳られたものと分かります。
少なくとも寛政二年には長徳寺が存在していたことを示す貴重な資料となっております。



五大尊(巌溪山 長徳寺)の地図





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