埼玉県坂戸市島田の臨済宗建長寺派 天林山 東蔵寺(正法寺の末寺)

末寺紹介/天林山 東蔵寺(坂戸市島田) - 正法寺【公式】

末寺紹介/天林山 東蔵寺(坂戸市島田)臨済宗 建長寺派


坂戸市島田にあります、当山末寺の天林山 東蔵寺です。
本尊は薬師如来立像。
中武蔵七十二薬師霊場 第二十五番のお寺で十二年に一度、寅の年に御開帳が行われます。
東蔵寺は臨済宗の禅寺で、正法寺の末寺です。

坂戸市島田は越辺川に隣接した土地で、昔から越辺川が氾濫し水害に見舞われていました。
度重なる水害と大正時代の火災で東蔵寺の書物も流されてしまい、残念ながら現在縁起を知る資料はほぼ残されておりません。

文化・文政期に編纂された新編武蔵風土記稿の島田村 東藏寺の項に 「禪宗、濟家郡内今市村正法寺の末、天林山と號す、當寺元は天神坊と云る坊舎なりしが、何の頃か一寺となり、今の寺號に改めし由、第二世の僧を繁寂とのみ傳へて、其示寂の年月をしらず、本尊薬師を安ず、按に境内に天神社あり、當寺元天神坊と稱せしといへば、往古は天神社を守るための坊舎ならんか、一寺となりし後、社は反て纔に境内にあれど、今も村内の鎮守なり、されど其詳なることをしらず、」とあります。

他に天神社、念佛堂(立像の薬師本尊となす)、諏訪社(東藏寺の持、當村の鎮守なり、)稻荷社(同寺の持なり、)とあり、当時を知ることができます。

また、坂戸市史の嶋田の天神社の項によれば、”『入間神社誌』に「元禄年間に西京北野社を分祀し。鎮守として尊崇した由、口碑に伝える」とある。はじめは天神社別当と称される人が祀職をしていたが、元和二年に越生町の臨済宗正法寺から丈雪という僧が来て一寺を開創し、天神山東蔵寺と号し明治五年まで別当寺をしていた。(坂戸市史 第2編 中世)”とあり、元々、島田村にあった天神社の境内に置かれる寺として開創され住職が神官より上の社僧として行事が行われていたようです。

「丈雪という僧」は正法寺、第十四世住職の丈雪妙積和尚のことで元和三年十一月八日まで正法寺の住職を務めました。

また明治五年まで別当寺をしていたというのは太政官布告、俗にいう神仏分離令により制度が廃止されたためと思われます。
現在でも天神社は東蔵寺の隣に鎮守しております。
水害が無ければ、もう少し歴史の分かる資料が残されていたと思われますが残念です。



中武蔵七十二薬師霊場 第二十五番 天林山 東蔵寺のご詠歌

東より 蔵(かく)るる寺の 名に負わず 四方(よも)にしらるる 瑠璃の御仏



天林山 東蔵寺の御朱印

十二年に一度の御開帳の時のみ限定の御朱印となります。
前回は2022年(令和4年)4月7日から13日まで御開帳が行われました。次回は2034年の予定です。



天林山 東蔵寺の地図





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